【みんなみの里】名前は “ 燃える心 ” から | 里山きさっせぇ

 今回より新たに『里山きさっせぇ』というシリーズが始まります。
 この「きさっせぇ」とは、この周辺の方言で「おいでよ」という意味です。
 これから鴨川を中心に周辺のご紹介をしていきますので、ぜひ里山へきさっせえ~よ。
 

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 まずは『古泉千樫』と『みんなみの里』についてです。

 『里のMUJI みんなみの里』の「みんなの里」とは、どういう意味なのですかと、聞かれることがありました。
 そこで、今日はあらためて名前の由来についてご紹介します。

 みんなみの里からそう遠くない場所に、長狭平野出身の歌人「古泉千樫(こいずみちかし)」という人物の生家があります。
 伊藤左千夫や斎藤茂吉、北原白秋や石川啄木らと同じ頃に活躍した千樫は、ふるさとの情景を歌った作品に高い評価を得ていました。




 そして、それら作品の中に「みんなみの 嶺岡山の 焼くる火の こよひも赤く 見えにけるかも」という歌があります。



 これは、千樫の自宅から南方に嶺岡牧があり、そのときおこなっていた野焼きの様子を見て、自分の燃える心を歌ったものと言われています。
 ここから、平成11年3月の施設開業にあたり、愛称をつけようとした時、名称の「みんなみの里」が生まれました。


 ところで、この古泉千樫ですが、13歳で初めて雑誌「小国民」に投書し、19歳で伊藤左千夫から絶賛を浴びた後、歌人としての人生を歩みました。
 しかし、やがて病に倒れ、肺結核と心臓衰弱のため42歳という短い生涯を終えたそうです。



 その千樫の生家には「椿の井戸」があります。
 いまだに水が枯れることのない古い井戸で、その井戸には古い椿の木があり、一部皮だけになった椿の幹もしっかりと水を吸い上げて生き続けています。
 その様子は、姿はなくとも素晴らしい歌が残った今は亡き千樫を想像させます。

 昨年4月のリニューアルオープン以後、千樫の “ 燃える心 ” を受け継ぎ、里山の風景を大切にしつつ邁進していきたいと思います。

 

 

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